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ある教育系ニュースサイトからこのページの存在を知った。
このページは薬学部を志望する全受験生必見のページ。
各入学年度の進級状況や、薬剤師国家試験ストレート(1度も留年・退学していない)合格者数など、各大学ごとに公表させている。
「言うこと聞かないと交付金カット」のように直接言いこそしていないのだろうと思われるものの、実態としては、文科省が半強制的に公表させているに違いない。
そうでなければ、低偏差値大学薬学部など、こんな不名誉なデータを自主的に公表するはずがない。
受験生やそのご家族は、このデータを吟味した上で志望校の決定を強く強くお奨めする。
特に、新設大学薬学部への進学を検討されている方は、大学のホームページやパンフレットではなく、このデータを最重要視すべき。
薬学部の6年制移行後、最初の入学年が2006年。
その翌年から、Fラン(=Fランク大学=河合塾定義のBF)大学が薬学部にも誕生した。
旧4年制時代は、医学部の滑り止めや、医療へのそれなりに高い意識を持つ学生、高い意識はなくともそれなりの基礎学力を備えた学生らが入学出来た。
6年制では、さらに、工学部や経済学部などの理系文系学部からの滑り止め、基礎学力の乏しい学生らも受け入れる、懐の深い学部となった。
浪人してまで行くような大学ではない(と当時は本気で思っていた)大学にしか合格せず、Fラン大学薬学部へ進学してしまった俺にとって、薬学部の勉強はとてつもなく退屈なものだった。
しかし、それでも入学年度は、薬学部の専門的な講義が少なく、浪人していたから当然、周りの学生よりも基礎学力(たかがしれている)があり、留年することはなかった。
入学年度で50名程度留年したと記憶している。
それは、本来必要な単位数に数単位満たなくても進級させてあげるよという救済措置を適用した後の人数だった。
母校の入学年度前期の講義は、数学・物理・化学・生物が高校教科書例題レベル、英語が中学生レベルの内容だったので、極々普通に高校まで過ごしていれば留年することなどない。
しかし、本格派Fラン生は、前期で多くの単位を落とし、後期の専門的な薬学部の講義でも単位を落としていた。
各大学のデータを見ると、低偏差値大学では2年進級時の留年者数が多いので、全国的にそういう傾向なのだろうと思う。
俺は4年進級時に留年(つまり、3年生を2度過ご)した。
1年~3年の専門的な薬学部の講義を落としてきたツケが首を絞めた。
3年前期は酷いもので、受講した講義の2割程度しか単位を取れなかったと記憶している。
だから、3年前期の時点で「規定では」留年が確定。
3年後期の講義をフル単で終えることが出来れば、Fラン名物の救済であるいは、進級出来たかもしれない。
しかし、3年後期も、たしか、ほとんど単位を取得出来なかったと記憶している。
留年しといてどの口が言うんだよという話だが、留年の原因は専門的な講義が難解すぎたからというわけでは決してない。
もちろん、本質的に薬学という学問を身につけることは難しいことだが、Fラン大学薬学部で単位を取ることは容易なことだと、今思い返してもそう思う。
原因は無気力さだった。
勉強などせず、かといって、遊ぶことすらしない。
そりゃ、パチンコをしたり、ネットを見たりといったことはした。
しかし、合コンとか、海外旅行とか、若いうちしかできない遊び、時間の有り余る大学生でしか出来ない遊び、自身の心境に変化を及ぼしたり、人として成長させてくれたりするような作用のある遊び、要は若さを燃やすような遊びはてんでする気が起きなかった。
遊ぶことすら出来なかった原因。
それは、Fラン大学へ入学してしまったことへの後悔、学歴コンプレックスからくるものだった。
そういった思いは、学問に触れたり、新たな興味に魅かれたり、大学生活を通じて弱まるか無くなるべきものなのだが、むしろ、強くなる一方だった。
私立大学薬学部は、一般的に、薬剤師免許を取得したらその免許を用いた職に就くので、他学部よりも目的は明確であり、本気で志望する学生は迷うことがない学部なのかもしれない。
だが、Fラン大学薬学部は、俺のように、色々ある滑り止めの中の一つに過ぎないというレベルで入学する学生がいる。
少なくとも、ちゃんとした大学の薬学部の薬学部・薬剤師に対する想いや志望度より、Fラン大学薬学部のそれは弱い場合が非常に多い。
皆が皆、俺と同じ原因かは分からないが、「遊ぶことすらしない」という学生は母校の他の学生にも見られた傾向だったし、他のFラン生にも見られる特徴的な要素だと思う。
Fラン大学の特徴としてもう一つ思い浮かぶものは、一般的に、良いとされる文化は広がらず、無気力さなど良くない文化は伝染しやすいように感じたこと。
もちろん、Fラン大学の中にも、ちゃんとした大学の学生と同じ様な、前向きで実りある学生生活を送る者も目に付いたが、俺のような学生との距離を気にしなければならないから、ちゃんとした大学での学生生活以上に搔い潜らなければならないこともあり、大変だったのではないかと思う。
2度目の3年生を送る中で、「なら、2浪したかった」など新たな後悔の念と既存の後悔の念で精神がおかしくならぬよう必死に抑えつつ、Fラン大学で7年も過ごさないといけないなど地獄という気持ちが強くなった。
退学したいとも思った。
でも、次にやりたいこと・すべきこと・目指すことを両親に論理的に説明することが出来なかった。
だって、無いもん、そんなもん。
きちんと説明することが出来れば、Fラン大学薬学部を退学し、新たな道へ進めたかもしれないが、新たな道が思いつかない以上、Fラン生を続けるより他なかった。
「Fラン生を続けるより他なかった」など、とても生意気なことを書いた。
学費の高い私大薬学部に通い続けられることは、両親の経済力や理解や期待等家庭環境などが非常に恵まれた幸運なこと。
馬鹿なFラン生の俺でもそれは理解していた。
噛み締めていた。
だから、何の考えもなく「退学したい」などと言うことは、泥を塗る、塗りたくるような行為で、とても言えなかった。
むしろ、勉強に励み、よく遊び、ハツラツとした充実した実りある大学生活を送っている大学生であるという姿を見せるべきことが、その時すぐに実行出来る、せめてもの感謝の示し方ということも分かっていた。
実態はクソな大学生活だったとしても、嘘でもハツラツとした大学生をしている姿を示すべきだし、それがどうしても難しいようであれば、普通、一般的、凡庸、ありふれた大学生をしている姿を示すべきだと思っていた。
そう思いながら、俺は、凄く幸せ者だということも痛感しつつ、その幸せを、Fラン大学で、不幸せに変換する日々を過ごした(言うまでもないが、Fラン大学が悪いわけではない)。
にじみ出ていた。
息子は心底面白くない大学生活を送っている。
両親は確信していたと確信している。
本当に親不孝だった。
負の感情の超大盛り日替わり定食を、顔色変えずに食べることが俺には出来なかった。
倒れぬよう努めるので精一杯だった。
だから当然、後ろ向きな気持ちを入れ替えて猛勉強出来るわけでもなく、1度目の3年生の時より少しだけ試験対策をして、留年しないこと以外の価値などただの一つもない、単位取得作業をするしかなかった。
そして、さして苦労せず、1度目の3年生で取れなかった単位を取得した。
留年時の知識量と単位入手後の知識量は全く変わらなかった。
でも、なぜか留年し、なぜか進級することとなった。
母校も、他の低偏差値大学でのデータ同様に、4年進級時以降の留年者数はガクッと少なくなる。
たしか、4年生は、病院・薬局実習へ行くための試験勉強に費やされ、単位の出る講義が少なくなったはずだ。
そして、データは、卒業時留年者数と、ストレート国家試験合格者数を示している。
特に、留年・退学しないで国家試験に合格した合格率(もしかすると、退学者数は入学者数としてもカウントしないでデータ化しているのかもしれない)が、母校は3割を下回っていた。
なぜ、7割を超える学生がどこかしらでつまずいてしまうのか。
その一例をかいつまんでみたが、いかがだったろうか。