ゴクツブシさんのコメント

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【留年経験者】留年解体新書【Fラン大薬学部卒】

「薬学部 留年しない」でググって、留年しないためにすべきことをそれらしく書いている文章に対するコメント。

 

  • 定期試験は早めに勉強して準備する
  • バイトしすぎない
  • 友達を作って過去問を入手する

だいたいこのようなことが書かれていた。

いずれの指摘も当たり前のことしか書かれてない上に、薬学部だから特に気を付けなければならないというわけでもなく、他学部についても当てはまる。

過去問を貰える程度の人間関係の構築など、必須科目といってもいいぐらい、どのレベルの大学・学部でも、当たり前にしなければならないことだ。

 

また、薬学部は他学部よりも特に大変で~などという指摘も目に付いたが、んなこたない。

例えば、国家試験の分量を見ればすぐに分かることだが、間違いなく医学部の方が大変だ。

そういった、ちょっと想像すれば明らかに大変な学部が存在するのに、「私たち薬学部は大変で~」などと、よくもまあ臆面もなくいえるなと思う。

 

別に他の学部より薬学部が大変なんてことはない。

普通だよ普通。

6年ということ以外は実験で放課後の時間取られちゃう他学部と同じ。

薬学部は大変だと指摘している人は、複数の学部を通った上での指摘なのだろうか(ちなみに俺はFラン大薬学部だけ)。

 

というわけで、ここ何回かに通ずるが、薬学部を検討する受験生とそのご家族に加え、今回は、薬学部進学決定新入生、さらに、留年しない具体策に関しては、特にFラン大学全学部新入生へも向けて、何を隠そう、Fラン大薬学部で留年したこの私が、その経験で得た知見を基に、具体的に何をしたらいいかの1例を提案する。
長くなり過ぎたので、この回は「なぜ留年するのか」という前置きを書き、留年しないためにすべきことで具体案を書く。
なので、具体案だけでいいという方は読まずに留年しないためにすべきことへ進んでください。

単位を落とす≠留年

単位認定試験までに必要な知識が定着せず、したがって、十分な解答ができず、さらに、出席点など付随する評価点を加味しても合格点に満たない場合に落第し、単位を落とすことになるのだが、ただ単位を落としただけでは留年しない。

単位を複数落とし、進級に必要な単位数や条件を満たさない時、年度末に留年が確定する。

薬学部の場合は、履修の仕方に自由度がないので、色々な考慮の結果「あれ?全部単位を修得したのに、そもそも履修が足りなくて進級できなくね?」ということは起こりにくい。

 

単位を落とすことは、必ずしも悪いこととは言い切れないように感じる。

 

例えば、aという科目を、前期はA先生、後期はB先生が教えるなどといったケースがある。

A先生はa科目の前半部分を専門に研究し、B先生は後半部分の理論を基に特許を取得しているなどということがあると、大筋は同一内容となるものの、それぞれの先生が重点的に教えたいと思うところ(思い入れのある分野)は異なり、講義の内容がそれぞれで異なることもある。

 

この異なり具合が、あらかじめ決まった答えや解法を教わり続ける高校までの授業とは異なる、大学らしさだと個人的に思うし、そのような積み重ねを経て、様々なアプローチで物事を追求する探求力だとか、思考力だとかを養うことにつながり、いつしか学問を追求していた。

その様な人のいる場所や環境が大学なのではないかと、今は思う(Fラン生の頃は、Fラン大学を馬鹿にし、Fラン大にも、自分にも何も期待せず過ごしたので推測)。

 

だから時には、この先生とはどうしても合わないなどといったことも生じるだろうし

(単位認定試験問題の解答について、病院実習で勉強した内容を用いると別の解釈もでき、したがって、別の解答もあるのではないかと、単位修得は決定しているにもかかわらず、わざわざ教授の部屋へ乗り込み教授と激しい議論をしていた、同じFラン大薬学部の優秀な友人がいた)、

講義はちゃんと聞いて、勉強もちゃんとしたにもかかわらず単位を落としてしまったなどということもあるだろう。

一方で、過去問だけしかやっていないあいつは可で単位をもらっていたなどということも起こり得る。

 

真剣に向き合っても単位を落としてしまうということが時にはあって、それが重要なきっかけとなり、もっとその分野の勉強を基礎からやり直そうと思うこともあれば、見切りをつけて別の分野の勉強へ進もうという決定打になるかもしれない。

 

単位を落とすという、一見、悪そうに見える出来事は、その後の方向性を決める重要な要素となることがあるかもしれないので、かえって良かったとなることがあるかもしれない。

 

単位を落としまくる=留年

単位を複数落とすという、一見、悪そうに見える出来事は、上記のケースが重なった場合、完全に悪いとまではいえないかもしれない。

だが、単位を留年する程複数落とすという、一見、悪そうに見える出来事は見た目通りそのまま悪い。

 

単位を留年する程複数落とすとは、つまり、複数の科目において

  • 単位認定試験で不十分な解答
  • 講義を休むなど、試験以外の低い評価点

上記、一方か両方を満たした結果生ずる。

そして、一般的には、原因として

  • いや~、勉強できなかったわ~
  • 鬼のようにバイトして~(鬼って何だよw)
  • 鬼のように遊び過ぎちゃって~(鬼って何だよw)
  • な~んか、やる気起きなくて~

様々な「不勉強だった」旨、薄ら笑いを浮かべたり、ヘラヘラしたりしながら同級生たちへ報告する。

来年、下級生たちに混じりながら、少なくとも修学においては、再び同じ1年を過ごさなければならないという信じられないぐらい不毛で重大なスケジュールが決定し、それは一般的に、学費面や就活面、ひいては、卒業後の人生面を考えると、大学入学前の想定から外れ、大変芳しくない状況なのだけれども、こと自分に限っては、全くもって大したことではないのだと、大袈裟なのだということを、面識のある同級生ばかりか、面識のない同級生たちにも知らしめるために、薄ら笑いやヘラヘラすることが必須なのだ(当然、親への報告の際は悔しさを滲ませる)。

 

精神的な距離と物理的な距離

「不勉強だった」とは一体何なのか。

俺はこれを、Fラン生時代と薬剤師国家試験を合格するまでの間、真剣に解剖し続けた。

 

薄ら笑いを浮かべたり、ヘラヘラしたりしながら告げた留年原因。

実はどれも本質的な原因ではない。

俺の場合は、もう何度も書いてきた通り、そう、学歴コンプだ。

 

学歴コンプの負のエネルギーは強大で、あらゆる出来事をFラン大学に通う自分への絶望に結びつけ、それが「精神的な距離」として、「勉強をしようとする意欲」と「実際に勉強をすること」の間に入り込み、両者を遠ざける。

他にも、「精神的な距離」の実体の1つである「Fラン生であるという絶望」が「1限から大学へ向かおうとする意欲」と「実際に1限に出席すること」の間に入り込み、その距離の途方のなさから、やむを得ず、講義を休む。

すると、講義の都度配布される、単位認定試験の勉強にも必要な資料が揃わなくなる。

母校の配布資料は俺の管理能力を上回る量だったので、もしかすると、他大学薬学部の配布資料も多いのかもしれない。

もちろん、休んだ講義の資料をくれる友人はいたのだが、「精神的な距離」が「プリントを揃えたい意欲」と「実際にプリントを揃えること」の間に入り込む。

 

講義資料であるプリントが揃わなかったり、全講義分のプリントは揃っているものの、メモすべき重要事項の記載漏れや、プリントそのものがバラバラになって自室の中で紛失していたりするなど、勉強するための具体的な道具に不備のある状況の度合いが「物理的な距離」である。

 

「物理的な距離」は誰であっても前述内容が実体なのに対し、「精神的な距離」は人それぞれに実体が存在する。

 

例えば、母校は滑り止めなものの中学の時から薬学部が第1志望、留年こそしなかったが国試浪人を重ねてしまった友人は「これだけ勉強したのに点数に結びつかないこと」が「精神的な距離」の実体だった(距離自体は、俺に比べれば、全く無いに等しい、とても短いものだった)。

 

しかし、ある程度その友人のそばで様子を見てきた俺に言わせれば、俺自身が浪人時代に見てきた「スーパー東大理系物理」とか「早慶英語」みたいな名門大を目指すテキストを携え、共に自習室の同じ空間を過ごした浪人生のことを思い返し、彼らとその友人を比較すると、彼らのような死に物狂いさを感じることはできなかった(Fラン大薬学部なので、「勉強した」という自己評価の出し方に甘さがあったのかもしれない)。

また、単位修得は講義出席や、教授の部屋へ行き、積極的に質問するなどの努力の姿勢を示せば加点が(Fラン大薬学部だから特に)増えていたことで、「努力すれば、それ相応の見返りが当然ある」ということも「精神的な距離」の実体になっていたように思えた。

 

国家試験は努力の有無に関係なく、必要な点数を取れれば合格できる。

結果的に努力しなければ合格しにくいだろうが、あくまでも必要なのは点数で、努力量ではない。

 

他の例では、最初に思っていた薬学部像と実像が異なり、それが「精神的な距離」をどんどん広げることとなってしまっている友人もいた。

 

俺の学歴コンプや友人たちの例など、「精神的な距離」は、いびつな思想からスタートしたものが、例えば、薬学部を退学して新たな道へ進む逆境エネルギーとか、薬学部に食らいつくさらなる努力のための前向きなエネルギーとかにはなれずに、その光に照らされるとたちどころに鋭気をくじくような力を持つ、完全に不健全化した思想がその実体なのだという結論に至った。

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留年のしやすさ

  • 「精神的な距離」短 「物理的な距離」短
    →留年の危険性はほぼない。
  • 「精神的な距離」短、「物理的な距離」長
    →留年の危険性はそれほど高くないように思う。
  • 「精神的な距離」長、「物理的な距離」短
    →留年の危険性は高い。
  • 「精神的な距離」長、「物理的な距離」長
    →留年する。

実例:「精神的な距離」超長、「物理的な距離」超長だった俺

「精神的な距離」の影響例

  • 単位認定試験受験資格を剥奪しない、限界までの自主休講
  • 講義資料が揃わない、講義資料を紛失、記録すべき重要事項の記載漏れなど「物理的な距離」の形成
  • 課題などを最低限の評価で突破することこそが、どーせ卒業したところで社会的に評価されるわけでもない、Fラン大に費やすコストとしてはコスパ最高で最良とする、後ろ向きな価値観の形成
  • 高校時代などの気心許せる旧友の誘いですら、応じたいという気持ちもありつつ、断る
  • 遊ぶことすら気力低下

 

単位認定試験前等、「精神的な距離」「物理的な距離」の影響を最大限緩和しなければならない時の手段を具体的に時系列で示す。
負の太陽のような「精神的な距離」にはその光に照らされぬよう雲をかけているうちに、永遠に続く砂漠のような「物理的な距離」には捕まえたラクダに乗って、それぞれ進まなければならない。

  • 「物理的な距離」の緩和
    • 過去問収集
      コピー代がかさむ。

    • 配布資料収集
      自主休講分の資料を揃える。

    • 重要事項の聞き取り調査
      穴埋め形式の資料など、記載漏れを記入していく。

    • 配布資料整理整頓
      出席分、自主休講分の資料を合わせ、重複分を除き、1科目分の勉強に必要な資料の完成。

この工程を試験1週前から、科目によっては、試験前日の27時ごろまで取り組んだ。

 

  • 「精神的な距離」の緩和
    • 自主休講
      「精神的な距離」による負の影響であるのと同時に、Fラン大へ通学することで生じる、自身の心に及ぼす負荷を発生させない作用も併せ持つ。
      行くも行かぬも正負両方の作用が生ずる。

    • ネット、ゲーム、TV等、お手軽な娯楽に興じる
      勉強するためには、「精神的な距離」「物理的な距離」を駆け抜け、それぞれが「実際に勉強する」領域まで到達しなければ、実際に勉強をスタートできない。
      お手軽な娯楽を通じて得られる正の感情の勢いを用いて、「精神的な距離」を一気に駆け抜けたいという動機で興じる。
      「精神的な距離」超長の俺は、もはや必然的に、興じる時間が長時間とならざるを得なかった。

    • 腹が減っては戦ができぬ
      お手軽な娯楽に興じる際は気にならないこともあるが、「精神的な距離」を駆け抜け、過酷な勉強をするためにはそうはいかない。
      食後の休憩時間も欠かしてはならないので、やはり必然的に、時間がかかる。

    • ふつふつと湧き上がる淫欲を速やかに消滅
      「精神的な距離」を駆け抜けるという命がけの行為は、人体に生命の危機を感じさせるのか、淫らな感情を湧き上がらせる。
      全くふさわしくない感情を消滅させるべく、適切なアダルトビデオ見つけ出さなければならない。
      言うまでもなく必然的に時間がかかる。

    • 頭をクリアにしていざ勉強へ
      「精神的な距離」「物理的な距離」を駆け抜け続け、いよいよそれぞれ「実際に勉強する」領域に到達させるべく、仕上げの段階である。
      静かに目を閉じ、何も考えずに時を過ごす。
      完全に意識をオフにして、眠りにつかないことが肝。

3大欲求をも総動員した、この神聖な儀式とも似たような、工程を、試験期間開始前日の夕方から、時には、試験開始数時間前までかかってしまうこともあった。

試験2日目以降は、それぞれにかかる時間が短くなることもあれば、同じだけかかることもあった。

また、誤って眠ってしまい、「実際に勉強する」領域での滞在時間が無くなってしまったこともあった。

 

以上のように、「精神的な距離」と「物理的な距離」により、どうしても「実際に勉強する」に至るまで、多くの時間を費やしてしまう。

その結果が留年という形で返ってきてしまうのだ。

 

留年解体新書 完