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記事の内容は、高齢者施設にて、訪問クリニックと共に、入居者や施設職員の信頼を獲得しながら、減薬など服薬状況の改善を日々取り組みつつ7年間、薬剤師としての訪問指導をしていたものの、施設側から大手薬局へ切り替えることを理由に、クビになったというものだった。
感想は、筆者も筆者の薬局も凄いと思った。
訪問時に施設職員から入居者の薬について積極的に相談されたり、訪問最終日には施設職員から寄せ書きの綴られた色紙を受け取ったりとの話から、確実に、施設側からかなりの信頼を獲得していたことがうかがえるし、現場の施設職員の負担をかなり軽減させていたように読み取れる。
それなのに、なぜクビになったかといえば、あくまで現場へのメリットしか提供できていなかったからなのではないかと思う。
かつて、俺の勤めていた薬局は、前任の薬局から奪い取る形で、高齢者施設の往診同行や訪問指導を勝ち取り、俺もそれに関わったことがある。
膨大な残業時間とそれに伴う残業代だけではなく、サービス残業も増えたので、俺としては迷惑な話だった。
そういう世界もあるんだなーということを知れたことは良かったが、3か月ぐらいで十分だった。
施設に対し、元勤務先薬局の方がよりメリットを提供できると訴求したため勝ち取ることとなったのだが、そのメリットとは、つまり、前任の薬局がこれまでやってこなかったことをするということ。
具体的には、各入居者ごとに仕切りを設け、そこにパック(一包化)された朝の薬を差し込んだ薬ケースというか、薬トレーというか、そのようなものを朝だけでなく、昼・夜・寝る前、各曜日、各フロアごとに作成。
トレーにセットした薬を施設に届けていた。
前任薬局時代は、施設に到着した薬を施設側が管理し、服用する際も、施設側で取り出し、服用させなければならなかったのが、元勤務先薬局に変わることで、「管理」と「取り出し」という作業が無くなった。
他人の薬の管理をしたことがないと、「大したメリットじゃなくない?」となるかもしれないが、これはなかなかに大きなメリットとなる。
(国試浪人生時代、留年するまでのかつての同級生で、既に薬剤師として働いていた友人に、薬をセットし、施設へ持って行き、施設職員や訪問クリニックとコミュニケーションを取りながら薬の管理をすることの大変さを聞かされていたが、当時の俺はその大変さが全く分からなかった。
「それって、結局、ただの配達っしょ?出前っしょ?そんな大変なの?」
お互い気心知れていたので許されたが(いや、正確には許されず、後に仕返しをされた)、これは薬剤師に対して言ってはいけない言葉の一つであるw)
前任薬局時代の施設が実施していた「管理」と「取り出し」から解放されるということは、施設側が、薬にまつわる責任から解放されたことを意味する。
何人もいる職員が、袋なのかカゴなのか、入居者ごとの薬の区域から、薬を出したり入れたりすることはミスの生じる危険性がある。
さらに、服用時に朝・昼・夕・寝る前の薬から、正しい薬を取り出さなければならない。
Aさんは朝・夕、Bさんは朝・昼・夕、Cさんは朝・寝る前と入居者によって、各服用時は異なるなかで、当然、全員分の正しい薬を取り出さなければならない。
日々のこれらの作業は時間が掛かる。
これらの作業のせいで、他の作業は後ろにずらされ、残業や人員増員しなければならないかもしれない。
ミスをすれば、それは施設のせいとなる。
健康被害が起きなければ、当該スタッフは厳重注意で、施設と訪問クリニックと届けた薬局だけは事態を把握し、入居者には知らされず、穏便に済むかもしれないが、目に見えての健康被害が起こるとそうはいかない。
入居者やその家族に知らせることとなる。
誠心誠意謝罪しても、激怒する家族もいるだろう。
施設はプロ、高い入居費を支払っているのに、大切な家族に対して何事かと。
「では、それ程までに入居者様が大切なご家族ということであれば、ご家族皆さんでご面倒を見てはいかがですか」
施設側は口が裂けても言うことはないが、そんな気持ちを抱きながら、ただひたすらに謝罪し続けているかもしれない。
ほんの1,2世代前の日本の当たり前であった大家族制を否定し、核家族を選んだ子供たちは、同居どころか年老いた自分の親の面倒を見ることも金を出すことで解決し、でもどこかで、罪悪感も携え、だからこそ、ここぞとばかりに、施設の罪に、自分たちの罪悪感も乗っけているのかもしれない
(言うまでもないが、この例の場合、施設側のミスが発端であるから、そのミスの範囲に収まる叱責は仕方ない。
また、今まさに、ボロボロになりながら関与している家族もいるし、限界を迎え、苦肉の策で施設へ入居させた家族だっている。
理解できていない入居者を多く目にしてきたが、入居費用を拠出できるだけの甲斐性があることもまた、凄いことである)。
この、薬にまつわる責任を、施設側がお金を払うことなく(お金を払うのは入居者やその家族、介護保険等)、薬局が引き受けてくれるというのだから、とてつもない大きなメリットとなる。
しかし、記事の筆者の薬局が薬のセットまでしていたのかは、文章から読み取れなかった。
薬を減らしたり、代替薬の提案をしたりして、入居者の服薬状況の変化を通じて生活環境を改善させたことについての記載は、専門性をこの上なく発揮した、薬剤師としての本質的な医療貢献・社会貢献だと思う。
金魚の糞のように往診医にただくっつき、ごくたまにあった薬剤の問に対しては、絶句しながら冷や汗をかいていた俺なんかとは比べ物にならない。
だが、その薬剤師の本質的な貢献は、施設現場職員や入居者から感謝されることはあれど、施設の決定権者にはどーでも良い事なのである。
どうでも良いというか、薬剤師の本質的な貢献というのは極々当たり前の標準装備という認識ゆえに、当たり前すぎて全く気にされず、その上のオプション的なメリットは何なの?ということが決定権者の興味なのである。
全くの憶測だが、記事の筆者の薬局は薬のセットまではしていなかったのではないだろうか。
もし、もう十分やっていたとしたら、7年間の実績として、施設職員や入居者とのコミュニケーションが良好だったのだから、新たに担う薬局がそれ以上のメリットを訴求できないはず(金銭提供ぐらい?でも、それはマズいからね)で、したがって、その施設だけ例外的に、筆者の薬局が担当を続けていたのではないかとも思う。
例外扱いにしたところで、施設のデメリットが生じることもないし。
また、7年間の甲斐虚しく大手薬局に変えられてしまった筆者の薬局だが、筆者の薬局だけではなく、グループ全施設それぞれの薬局も、大手薬局3社に変えられたとのことから、恐らく、薬局と施設の間を取り持つ者がいたのだろうと推察される。
そして、例えば、薬のトレー作成などによって、施設のリスクの解消につながるメリットや、施設職員の残業代等の人件費削減などの数字として見ることのできるメリットを訴求したことで、一気に変更になったのではないかと考えられる。
薬剤師の本質的な職務を全うするということは、すべからく社会にとってとても価値のあることだろう。
しかし一方で、薬剤師自身がそのことを信じて疑わないようであれば、それは考え直すべきということを示した事例だと思う。
内容としては薬剤師の専門性を発揮するまでもない、薬剤師でなくてもできる仕事にもかかわらず、薬剤師の本質的な職務による効果を超えた価値のあるもの、求められているものが実は存在する。
薬剤師が気づいていないだけで。