ゴクツブシさんのコメント

コメ欄を汚さずに、ブログで吐き出します(本ページはプロモーションが含まれています)。

スキップとローファーはグッとくる

漫画「スキップとローファー」についてのコメント。

 

スキップとローファーは、女子高生が主人公の漫画(講談社:月刊アフタヌーン、作者:高松美咲さん)。

Wikipediaによれば、ジャンルは「学園」「青春」となっている。

 

月刊誌連載なので、マンガアプリでちまちまと読んでいてもすぐ連載に追いついてしまい、俺の生き甲斐を失いたくないがゆえに、あえて、最新話周辺は読まないようにしていた。

しかし、1話から読み返してしまったことで、とうとう我慢できなくなった指は留まるところを知らず、迂闊にも最新話まで読みふけってしまった。

連載期間は5年以上でアニメ化もされていることから、きっと、この作品についてのブログやレビューは、今さら俺が書くまでもなく山ほどあるのだろうけれど、未読話を失った喪失感と、最新話を待たなければならない絶望感が、これを書かせている。

 

目元など手抜き感漂わせるルックスの主人公

これまで俺が読んできた学園モノの漫画といえば、クラスのマドンナを追いかける恋愛モノ(少年漫画)とか、美男美女の恋愛模様(少女漫画)とか、高校野球を背景とした恋愛モノとか、部活をガッツリ取り組む青春モノとか、振り切ったギャグを盛り込んだコメディーモノとかだった。

 

スキップとローファーは、恋愛要素もあるものの、そればかりに偏ることはなく、学園モノとしてはこれまで読んでこなかった、日常系なのではないかと思う。

実際、タイトルの煽り文も、基本的に「不協和音スレスレのスクールライフ・コメディ!」となっている

(37話~41話:TVアニメ化決定のスクールライフ・コメディ!

52・55・56話:ときどき不協和音スレスレのスクールライフ・コメディ!

53・54話:もう半歩で恋がはじけるスクールライフ・コメディ)。

少なくとも、俺は、最新刊(既刊9巻)までの内容で恋愛漫画だとは思っておらず、数多ある学園モノなのに類似作品が思い当たらない、新鮮な作品だと思っている。

 

学園モノ漫画といえば、部活ガッツリ系で恋愛要素0や少な目だとしても、主人公の顔は整っていると思うのだが、この作品は、主人公が女子高生にもかかわらず、美女でもなければ、可愛くもない。

いや、キャラクターとしての可愛らしさは多分にあるのだけれど、初見でのルックス的には、美女系でも可愛い系でもない「普通」と判断されそうな見た目。

実際、作中で、見た目をけなされていると捉えることのできる描写もある。

頭脳がずば抜けて良いというプラス設定は与えられてはいるが、見た目「普通」のキャラが主人公なのに、ギャグ漫画でもないというところに斬新さを感じる。

 

「ブスなんて言わないで」(講談社:アフタヌーン、作者:とある アラ子さん)も主人公は好ルックスではないが、TVドラマも、ルックス的なアドバンテージの無い役者を主人公に据えれば、もっと感情移入しやすい作品が増えるのかもしれない。

 

バリエーション豊かな友達

主人公は、3人の女子と仲良くなり、グループを形成するのだが、彼女らの設定の深さもまた斬新さを感じ、興味深い。

友人関係を構築した順に書くと、

  • 正統派美女
  • 正統派陰キャ
  • 努力で陽キャになったがゆえに、ひねくれている可愛い系

といった、多くの読者が、もし、自分を作品の世界に当てはめるならこのキャラというような読み方をしやすいのではないかと思う(生粋の陽キャがいないか)。

各キャラの設定をしっかり浸透させ、キャラとしての厚みをもたせるようなエピソードもある。

 

陰キャにも向けられるスポットライト

例え作品中で酷い仕打ちを受けていたとしても、一般的な学園モノ漫画に登場するようなキャラが、もし、現実世界にいたとしたら、彼らは陽キャに分類されるであろう特性を備えている場合が多いだろう。

しかし、この作品に登場するキャラは、現実世界で、そのまま陰キャに分類されるであろうキャラもちゃんと登場していて、そこにリアルを感じる。

 

主人公は、総務省に入省、過疎地対策に奔走し、定年後は地元で市長になり財政健全化を達成、その功績が認められ、熱々大陸(情熱大陸?)に出演するという夢の実現のために、まずT大(東大?)入学を果たすべく、能登半島北端の地から上京し、都内進学校へ通う。

地元中学の同級生8人という環境が、人間関係の悩みを生じさせず、純粋でまっすぐな性格を形作った要因かのような描写がある。

 

対して、主人公を囲む友人は、恐らく首都圏や大都市圏で小中高時代を経験した人なら共感できるであろう、それまでの人間関係で生じた考え方とか、価値観とか、歪み方といった背景をもつ。

 

「正統派美女」は、中高一貫校にもかかわらず、わざわざ受験をして主人公と同じ高校へ通う。

恵まれたルックスで、スクールカーストでは常に最上位に位置していたが、中学の人間関係は決して明るいものではなかった。

 

「正統派陰キャ」は、見た目も性格も暗い、典型的な陰キャ女子。

浮かれている人や物を冷笑しているが、それらへの憧れを拭い切れない一面も見せる。

意外にも、悩み方の重症度は最も軽症に見える。

 

「努力で陽キャになったがゆえに、ひねくれている可愛い系」は、見た目は可愛いし、スクールカーストの上位に位置付けるような外面の良さも備える。

しかし、小学生時代にいじめられた経験を持つと共に、努力してその状態を改善させたことで、人の手のひらが反る瞬間を知っていることから、狡猾さがにじみ出ている。

注意深い男子には見破られてしまっている。

 

彼女らの人間性と主人公の人間性が相互に影響し合い、心理的成長をしていく様子が描かれている。

 

さらに、恋愛展開にもなる元子役のイケメンや、正統派陰キャ(男子)、同性に嫌われることもいとわない自らの可愛さを自覚し男子をたぶらす狡猾可愛い系女子など、厚みのあるその他のキャラにも、それぞれ引き込まれるものがある。

 

また、主要キャラや、名前を明かされていないキャラもそうなのだが、全体的に自分や他人の「タイプ」に敏感で、その「タイプ」っぽくない発言をしたり、行動をしたりすると、いちいち指摘確認する描写が見られ、これがまたたまらないw

そうそうそう、「タイプ」を意識してた。

そうだった、そうだったと思い出されるw

 

「努力で陽キャになったがゆえに、ひねくれている可愛い系」が刺さる

俺が最も感情移入できるのは彼女。

彼女を見ていると、中高生特有の他人からダサいと思われたくない!!、または、陰キャ認定されたくない!!が、その時代の俺にも確かに存在していたことや、そう思うに至る大きな要因なのであろう、小学生時代の日々を思い出させられる。

 

~俺の学生時代

(作品と関連するものの、直接的には関係ないので、読み飛ばす場合は「俺の学生時代、ここまで~」へ)

運動不得意、授業中発言もせず、図工クラブ(6年生120人中、入部者が俺含め3人)に入ってしまうような児童が所属するグループは、暗いグループ

いじめられてこそいなかったものの、小学生時代の学校生活で今でも強く残っている思い出の1つが、校庭の広い面積を使ってボール遊びをすることが暗に許されないグループに所属し、うんていに押しやられていた休み時間。

 

一応、俺たち暗いグループ(当時、陰キャなどという言葉はなかった)が使えるボールもあったのだが、明るいグループのボールと比較すると、空気の抜けやすいボールだった。

そのボールを使い、校庭の狭い一画にあるうんていの周囲を縄張りとして、ボールをぶつけられると鬼になるというルールの、ボール鬼ごっことでもいうべきか、正式な名前のない、発想力の乏しい独自の遊びに興じていた。

山型雲梯(うんてい)と平行棒が合体していた。
平行棒を背中と足で支える。

その遊び自体はそれほど楽しいものではなく、つまらないうんていを一往復程度移動した後、もっぱら、画像のように寝心地の悪い平行棒で横になり、空を見上げていることが多かった。

 

確か、母校は休み時間終了5分前あたりで予鈴がなっていたと思う。

その時がこの遊びの最もエキサイティングな時間で、校舎の方向にある、鉄棒と上り棒が横一列に並んだラインを急いで越えなければならなかった。

ここを超えるまでに、鬼を擦り付けられなかった者が鬼として確定し、教室までそのボールを片付けなければならないという罰が与えられた。

 

当然、鉄棒と上り棒もまた、校舎に近い、校庭の終わりの方に追いやられた、つまらなそうな遊具だった

(この文章を書くために、念のため、ストリートビューで母校を確認したが、うんていも鉄棒も上り棒も健在で「まだちゃんとあるんだ」と感慨深かった)。

 

明るいグループ

今のところ、俺の人生で最も精神的に日々しんどかったのは、Fラン大生時代でもなければ薬剤師時代でもなく、小学生時代である。

そのような心境の原因は、小学生特有の残酷さの中でのスクールカーストの無情さを見てきたからなのかもしれない。

 

当時の母校での明るいグループ所属児童は、サッカーや野球など、地域のスポーツ少年団に所属していて運動が得意だったり、授業中積極的に発言したりできるなどといった要素が求められた。

面白いのは、勉強ができるという要素は必ずしも優れた能力として認められていたわけではなく(積極的に発言ができるという要素で、結果的に勉強できる者もいた)、あくまでも、運動と授業中の発言に重きがおかれ、それらの能力が優れていることは、当時の母校の児童におけるステータスだった。

 

そして、その明るいグループに所属していても、各々発言力やその影響力に違いがあることは、部外者である暗いグループの俺にも感じ取れた。

また、発言力や影響力に裏付けられた、明るいグループの児童の地位は、流動性があり、入れ替わることもしばしばあった。

 

その一環なのか、明るいグループ内のターゲットにされた児童が、無視されるなど、ほぼいじめのような被害を受け、大きく地位を低下させられることもあった。

原因がその本人にあることもあれば、牛耳っている児童の虫の居所が悪かっただけなのでは?といった、明確な原因が見受けられないこともあった。

もちろん、そのいじめの対象もまた流動的であった。

 

暗いグループはリハビリセンター

暗に弾き出された"元"明るいグループの児童は、俺たち暗いグループにやってくる。

始めは、この暗いグループからも排除されることを恐れ、しおらしくしているのだが、次第に血が騒ぐのか、我が暗いグループを統治しようとする。

 

暗いグループの児童は、権力の外にいた存在なので、グループ内での序列や、微妙な上下関係がない。

ブルーオーシャンで権力者の野望を掲げた"元"明るいグループの児童が、我がコミュニティーでも次第に疎まれ始めようとするかしないかのタイミングで、殿上人から声が掛かり、晴れて"元”の取れた、明るいグループの児童として返り咲く。

その際、誰一人として、暗いグループの児童として残る選択を取った者はいなかった。

ここまでの一連の模様は、期間にして、1週間~4週間程度での出来事である。

 

"元暗いグループ"の児童を何人も送り出した中で、明確な理由がいつもあるわけでもなく、まるで当番制のようにいじめられなくてはならない、明るいグループの理不尽さの実体を、部外者として見て、また、"元暗いグループ"の児童を通じて感覚的に触れ、嫌気していたことをよく覚えている。

まだ幼く、当然「理不尽」という言葉や概念も理解していなかったと思うが、理不尽さの本質のようなものを、当事者ではなく部外者として、また、リハビリセンター職員として、間接的にかかわりながら見続けていた。

 

また、我々暗いグループに所属する児童も、明るいグループの児童から、何かをきっかけにからかわれる危険性はそれなりにあり、もし、その対象となると、最低3日程度はからかわれ続けるので、教室へ入る前に「今週も何もないと良いな」と思っていたこともあった。

それでも、まだ異性の目をそれ程気にしておらず、したがって、暗いグループであっても、それ以上の害があったわけではなく、放課後は常に友人と楽しく遊んでいた。

しかし一方で、「学校での俺のこの感じ、ちびまる子ちゃんでいうところの、永沢君、藤木君、小杉君、山根君ぽくね?」と、やや不服に思っていたような気もする。

 

小学校の校内生活は、二度と戻りたくない。

 

中高は運動部に入り、暗いグループから脱却

中学校では、小学生時代と比較にならない程、運動部・文化部問わず部活動が本格化したことや、異性への興味から、同性間でのグループ内の地位争いは無くなったように感じた(争いがなくなっただけで、序列自体はあった)。

俺自身は、目立つわけではないが、でも決して、かつてのような暗いグループにカテゴライズされるような生徒ではなくなった。

 

高校では、以前も書いたが、明るいグループと見ていた人がいるかもしれないと思える程度には、スクールカーストを昇れていたと思う。

 

中学、高校と進むにつれ、ダサく思われたくないという感情は強かったように思う。

それは、異性の目を気にしてということが大きかったものの、暗いグループで過ごした、小学生時代が多分に影響していたのではないかとも思う。

俺の学生時代、ここまで~

 

自分語りが過ぎた。

「努力で陽キャになったがゆえに、ひねくれている可愛い系」が刺さる話に戻す。

 

入学式を終え、教室で主人公に話しかけられた彼女は、主人公をぞんざいに扱う。

式で嘔吐したダサい主人公と、友達になる必要はないと思ったのかもしれない。

そこへ、誰しも認める元子役イケメンが、その主人公に「友達になろう」と、クラス全体に聞こえるレベルで声をかけ、SNSのIDを交換する。

その後、彼女から声をかけ、主人公にID交換を申し出る。

 

こういう人いるな~~~と彼女の狡猾さにグッとくる。

というか、俺自身も当時は彼女と同じ要素があったな~と懐かしく思う。

 

ダサい人と仲良くすると、周囲から自分もダサい人認定されるのではないか。

すると、女子から恋愛対象として見てもらえず、また、クラスの1軍との友人関係の構築も難しくなるのではなかろうか。

それらは、高校生活を充実したものにしたいと願う当時の俺にとって、何よりも怖ろしいことだったはず。

もちろん、全員ではないだろうが、当時の同級生で同じ考えの者も少なくない数いただろうし、今の中高生だってそういう思考を巡らせているのではないだろうか。

だから、意識的にも無意識的にも、ダサい人とは深くかかわらなくても良い、いやむしろ、かかわらない方が良いとさえ思っていたのだと思う(そうはいっても、高校生なので、あからさまにぞんざいな扱いをした覚えはないのだけれど、俺の態度も彼女と同じように「悪い」と評価していた人もいたのかもしれないなぁ)。

 

ところが、なんと、スクールカーストの揺るぎない上位者である元子役イケメンが、この一見陰キャに見える主人公を認めている!!

ということは、もうこの主人公を周囲は陽キャ認定するしかなく、したがって、主人公と交友を深めても陰キャ認定されないばかりか、元子役イケメンとも仲良くなれるかもしれない(この部分は描写がある)、と彼女は思ったのかもしれない。

さらに、自動的に周囲は、自分をも陽キャ認定するだろう。

 

こう勝手に背景を厚くさせては刺さり、グッと来ているw

懐かしい思いと、もう小学生時代を過ごさなくても良いんだという幸せと、俺も誰かを傷つけていたかもしれない申し訳なさと、今のこの価値観で高校生をもう一度過ごしたらどうなるんだろという気持ちと…。

 

ここまでは狡猾な振舞いにグッとさせられていたが、それだけではない。

彼女の賢さにグッとさせられたのは、スクールカーストにおける地位向上の努力を重ねてきた中で、自分が「やな奴になってること」を把握している描写。

 

これは、当時の俺にはない賢さだなぁ。

他人を、1軍か、ダサいかのジャッジをし続けていたり、あの人は、ああいう態度や言動だけど、本音はこうなのではないか?みたいな、他人の思考の真相や深層を探索することはしていたが(中学の頃、メールで夜な夜な女子と、そういう類の話をしたのは楽しかった)、自分自身が嫌な奴になっていると、自ら指摘することはできなかった。

あくまで、周囲から自分はどう見られているかとか、他人は他人をどう見ているかとかばかりで、連続的・総合的な自らの振る舞いを、批判的に振り返るという発想そのものが無かった。

 

彼女は「やな奴になっている」自分を変えるための行動に出るのだが、前向きな行動をとらせた要因の1つに、主人公の純粋さ、まっすぐさに影響を受けていたところもあったのではないかと、勝手に読み取っている。

他にも、主人公の保護者役と、彼女とのやり取りがあるのだが、必ずグッとさせられる。

そういった色々な人とのやり取りを経て、彼女が心理的に成長していく様子にグッとさせられている。

 

1巻2巻無料(2023/12/8確認)

きっと、早い段階でブラウザバックする読者が多い中、スキップとローファーを一切知らないにもかかわらず、ここまでこのしょーもない文章を読んでいる読者がいるのだとしたら、俺はもう、画面の前のあなた方に、読まない選択肢を選ばせはしない。

 

ということで、探しました。

見つけました。

ebookjapan(ページやや下)では試し読みとして、1巻、2巻が登録不要で読める。

数話ではなく、丸々2巻分の全話を読める。

12月10日までらしいので、急いで読んでほしい。

12月24日まで延長(2023/12/11確認)。

もしかして、永遠に延長されるのかな?